きょうのこと

 また出勤出来なかった。出勤出来なかった日は眠ることが多い。昼間ずっと眠って、夕方に起きる。現実から目を逸らしているようで良くない気もするが、眠くて仕方ないので最近は諦めて眠ることにしている。そして夢をよく見る。それを説明することは上手くできないけれど、夢に出てきたものを夢占いで調べたら「周囲から良い評価を得たいのでは」みたいなことが書いてあって、なるほどとなった。最近、職場の中での立ち位置を気にしている。休むようになってしまって生まれた溝や距離感に戸惑っているのだ。新人の子たちがちやほやされているのが羨ましく思えて、でもそう思ってしまう自分がとても嫌で、その気持ちを持て余している。解決するには出勤するしかないとわかっている。けれど、気持ちも身体もついてこない。ぐるぐる考えて、また眠気に吞まれた。考えすぎだ、と言われることが多いけれど、考えることは苦手だ。いつも頭の中に靄がかかっているようで、ぼんやりしていると感じている。難しく考えようとすると眠くなる。そうしてまた眠りに落ちていく。夕方起きて絶望するとわかっていてやめられない。どうにも自分の嫌な部分ばかりが目についてしまう。つかれちゃうなあ。

Impatience

 ぼんやりとした微睡みの隙間で、窓から射し込む太陽の光を見た。午前の終わりに落とされた悪夢のループから這い出して、じっとりと寝汗を搔いていた。四度目でようやく撃退した、皆が口々に私を責めたそれは酷く現実に近いように思えて、醒めたというのに違う滴が頬を伝っていった。変に眠った時の気怠さは、市販薬を過剰服用した時の離脱症状に似ている気がする。自分が今薬を飲んでいるような錯覚に陥って、思わず自らを嘲笑した。未だ不意に襲ってくるその感覚をほんの少しだけ恋しく思ってしまうのは、きっと私の弱さでしかないのだろう。変われないことに焦燥感を覚える。出勤出来ないのは何度目だと、内側から責める声がする。私を責めているのはいつも私だ。それも変わっていないことが、悲しくて虚しい。嘆くだけの自分が腹立たしい。重い身体を奮い立たせて、布団から起き上がる。とりあえず腹を満たそうと思った。食事は良い。美味しいものは一瞬でもつらい気持ちを忘れさせてくれる。それに肖って食べる量が増えていることは自覚しているけれど、とてもじゃないが減らせそうにはなかった。食に依存しているのだ。薬よりかは良いだろうと自分を納得させて、毎日毎日明らかに代謝より多い量を飲み込んでいる。そんなことをしても変わるのは体重だけだとわかっていて、抜け出せない。早く健康になりたい、と、気持ちだけが焦っている。「すごく焦って生きようとしているように見える」と言われたのを思い出す。ただただ焦っている。此処でひとり、焦り続けている。

 明日は出勤できるだろうか。今はそれが一番怖い。

疑似的自殺

 死なないために、死に急ごうとする私の遺書を書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸せな人生でした。覚えていることが少ない中で、つらいこともたくさんあったけれど、なんだかんだ大切にしてくれる両親と、見放さずに仲良くしてくれる友人と、それから恋人がいて、学校に通うことも、就職することも出来ました。職場の環境にも恵まれました。インターネットを開けば、共感してくれたり応援してくれたりする人もいました。今、私に酷いことをする人はいません。むしろ良くしてくれるばかりです。だから、幸せでした。幸せであることは痛いほどわかっていました。本当は手放したくありませんでした。

 それなのに、16歳で目を覚ましてからずっと胸中に渦巻くこの希死念慮が、私を解放してくれることはたったの一度もありませんでした。私は、コントロールの利かない、どす黒い荒れた高波のような感情に幾度となく吞み込まれました。泣いて、喚いて、逃げて、薙ぎ払っても、それは私を呑み込み、死へと押し流しました。何度も、何度も何度も押し流されました。そして今日、私はきっと、この感情に、希死念慮に、完全に呑み込まれてしまったのだと思います。本当は今日、午後から職場へ出勤する予定でした。間に合う時間のバスに乗り、少し遠い最寄りのバス停で降りて歩き出しました。だんだんと、視界が滲んできました。涙が零れて、息が乱れました。歩みは遅くなり、そして止まりました。何かを失ったような、折れたような、ただそんな感覚があり、気づいたら踵を返していました。心配させたくなくて、位置情報をそっと切りました。職場の人に電話を掛けたものの、繋がらなかったので出勤出来ない旨を文字で伝えました。もうだめかもしれないと思いましたが、いつも通りの優しい返信が来ました。申し訳なくて、悲しくなりました。頭の中では、家にある2瓶分の錠剤がジャラジャラと私を嘲笑っていました。漠然と「それを使って死ぬんだな」と考えていました。明日は健康診断であることを思い出して、皮肉だな、と思いました。そうして無事に、家へと帰り着いたのです。

 きっと私は死にません。薬を飲むことすらないでしょう。この文章を投稿して、恋人にバレて怒られるんだと思います。箍が外れそうとずっと思っていました。けれど、私はただ甘く、弱い人間でした。浅ましい人間でした。外れることなんてない箍をずっと見つめて、不安になって泣いて何もしない、最低な人間でした。死にたくないんです。この気持ちさえなくなってくれればとずっと思っているだけで、本当は自分自身で生み出しているかもしれないこの感情に囚われて、周りを振り回して、最低な人間なんです。本当は死んだほうがいいのかもしれません。こんな感情、認められることも理解されることも、きっとありません。だって偽物のつらさだから。すべて私が悪くて、すべて私が間違っているから。そしてきっと、それだけが正しいから。赦されるはずないのに、赦されたいなんて思いたくありませんでした。誰かの役に立つだけで、にこにこ笑って生きていきたかったんです。ただそれだけなんです。ごめんなさい。赦されることはきっと無いですが、本当にごめんなさい。こんな娘で、こんな人間で、こんな友人で、こんな恋人でごめんなさい。きっと私はまだ変われません。ぐずぐずと同じところで足踏みをしてしまうと思います。だから、どうか自分の身を守ってください。危ないと思ったら離れてください。でも、愛しています、ずっと。だから、ごめんなさい。

夜半

 親が送ってくれた蜜柑を食べている。泣き止んだばかりの乾ききった身体に甘酸っぱさが沁み込んでいく。今日を昨日にしてしまえばいいとわかっていながら、地続きの明日がまだ来ないのをいいことに今日へしがみ付いている。暗い部屋で独り、戻らない時を思う。自責の念ばかりが強くなっていく。取り零した何かをずっと探して、追い掛けて、また涙に濡れた。拭った指先は酷く冷えて震えている。いつの間にか蜜柑は消えていた。消灯。

わたしのこと

 フォロワーさんも増えたし、ちょっとだけ自己紹介的なものを書こうと思います。

 

 改めまして、ぴ(さきぴ) と申します。名前が2つあるというわけではなく、さきぴという名前でやっていた頃に身バレしそうになったから表記を変えているというだけなので、どちらで呼んでいただいても構いません。あだ名も大歓迎です。

 年齢で気を遣われるのがあまり得意ではないので、ここには書きません(隠しているわけではないのでツイートすることはあるかもしれないです)。話すことや話し掛けることがあまり得意ではないのですが、お話すること自体は嫌いじゃないので気軽に話しかけてもらえるとうれしいです。返答が的を得ていなかったり急に会話が終わったりノリが掴めてなかったりするかもしれませんが、大目に見ていただけるとありがたいです。

 今は社会人として平日(と隔週で土曜日)は仕事をしています。なので、昼間はあまりいないかもしれませんが、ツイ廃なので居るときは基本うるさいです。オタクで推しもいるのですが、わりとアカウントの棲み分けをしたいタイプなのでここで明言することはあまり無いと思います。

 なぜメンヘラになったのかは正直わかっていないのですが、今までの経緯を話すと、高校生で病み精神科に通い始め、閉鎖入院や留年を経て通信制高校へ転学し、その後大学へ進学、就職し、一人暮らしを満喫し始めた矢先になぜかまた精神科に通っている……こんな感じです。死にたくない、穏やかに生きたいと思っているはずなのに、なぜか死にたくなってしまうので困っています。そのことを考える時間が多いので、自分語りも多いです。あと、親の話や大学の頃仲良く(共依存に近い)していた友人の話をすることも多いと思います。すみません。

 そろそろ何を書いていいのかわからなくなってきたので、以下に好きなものと嫌いなものを書いて終わりにしようと思います。

 

特に好きなもの(こと):サーモン・ピュレグミ(ぶどう)・ポテチ(のりしお&しあわせバター)・キャラメル系のお菓子やアイス・抹茶アイス・緑茶・アールグレイカルーアミルク・オハナマハロのラウレアピュア・キラキラしているもの・音楽を聴く・歌う・文字や文章を書く・赤紫系の色・松葉海蘭・煙草を吸う(時々)……etc

 

特に嫌い(苦手)なもの(こと):柿・虫・ざわざわしたところ・討論番組・背後に立たれる・怒鳴られる……etc

 

……こんな感じですかね。読んでくださりありがとうございました。よかったらこれからも仲良くしてやってください。さきぴでした。

消失ユートピア

 前の日記に書いた「病気のせいだからね」と言われた日、どこか赦されたような心地がしていたのに、次の日にはもうその感覚は消えてなくなっていた。身体がひどく重たくて、チューニングが合っていないかのようにすべてが遠くにある感じがした。職場では必死に普段通り振舞っていたけれど、木曜に早退して帰ることを選んでしまうくらい重くて、遠くて、つらかった。あれほど望んでいた言葉が、それを受け取った時の感情がきれいさっぱり無くなっていて、ただの空箱みたいだった。土曜に職場の人との面談でその話をしたら「もっと調子が良くなったときか、もっと調子が悪い時だったらスッと受け止められたのかもしれないけれど、調子が少し上がってきていたときだったから、張りつめていたものまでバチンと切られてしまったのかもね」と言われて、そうかもしれないなぁとぼんやりしたままの頭で思った。"病気じゃないからちゃんとしなきゃいけない、頑張らなきゃいけない"、その思いはつらく苦しいものだったけれど、もしかしたらそれが今の自分にとっては頑張ろうとする原動力になっていたのかもしれない。結局、また何もかもわからなくなってしまった。自責で強まっていた希死念慮も理由なく漠然としたものになってしまって、それでも強く襲ってくる。どうすればいいのだろう。どうすれば良かったのだろう。どうしたいのだろう。そればかりがぐるぐると頭の中を巡るけれど、答えにはまだ辿り着けそうにない。いつになったら解放されるのだろう。もう、疲れてしまった。

あたたかな陽光が射す部屋で

 「(本名)さんが今つらくなってるのは、病気のせいだからね」

 そう言われて、一瞬、時が止まったような心地がした。脳がゆっくりとその言葉を飲み込んで、じわじわと涙がこみ上げてくる。いつもは我慢出来るのに、今日はとても出来そうになかった。ずっと、ずっとそう言われることを願っていた。自分の頑張りが足らない所為だと思う裏で、頑張ってきたのにと思っていたし、今の自分を赦してもらいかった。自分が悪いと思うのは、誰のことも傷付けないけれどずっとつらくて、苦しくて仕方なかった。

 でも、それが今日、少しだけ報われたような気がした。これで、自分のことを少しでも赦せるようになるだろうか。今はただ、そうであることを願っている。