疑似的自殺

 死なないために、死に急ごうとする私の遺書を書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸せな人生でした。覚えていることが少ない中で、つらいこともたくさんあったけれど、なんだかんだ大切にしてくれる両親と、見放さずに仲良くしてくれる友人と、それから恋人がいて、学校に通うことも、就職することも出来ました。職場の環境にも恵まれました。インターネットを開けば、共感してくれたり応援してくれたりする人もいました。今、私に酷いことをする人はいません。むしろ良くしてくれるばかりです。だから、幸せでした。幸せであることは痛いほどわかっていました。本当は手放したくありませんでした。

 それなのに、16歳で目を覚ましてからずっと胸中に渦巻くこの希死念慮が、私を解放してくれることはたったの一度もありませんでした。私は、コントロールの利かない、どす黒い荒れた高波のような感情に幾度となく吞み込まれました。泣いて、喚いて、逃げて、薙ぎ払っても、それは私を呑み込み、死へと押し流しました。何度も、何度も何度も押し流されました。そして今日、私はきっと、この感情に、希死念慮に、完全に呑み込まれてしまったのだと思います。本当は今日、午後から職場へ出勤する予定でした。間に合う時間のバスに乗り、少し遠い最寄りのバス停で降りて歩き出しました。だんだんと、視界が滲んできました。涙が零れて、息が乱れました。歩みは遅くなり、そして止まりました。何かを失ったような、折れたような、ただそんな感覚があり、気づいたら踵を返していました。心配させたくなくて、位置情報をそっと切りました。職場の人に電話を掛けたものの、繋がらなかったので出勤出来ない旨を文字で伝えました。もうだめかもしれないと思いましたが、いつも通りの優しい返信が来ました。申し訳なくて、悲しくなりました。頭の中では、家にある2瓶分の錠剤がジャラジャラと私を嘲笑っていました。漠然と「それを使って死ぬんだな」と考えていました。明日は健康診断であることを思い出して、皮肉だな、と思いました。そうして無事に、家へと帰り着いたのです。

 きっと私は死にません。薬を飲むことすらないでしょう。この文章を投稿して、恋人にバレて怒られるんだと思います。箍が外れそうとずっと思っていました。けれど、私はただ甘く、弱い人間でした。浅ましい人間でした。外れることなんてない箍をずっと見つめて、不安になって泣いて何もしない、最低な人間でした。死にたくないんです。この気持ちさえなくなってくれればとずっと思っているだけで、本当は自分自身で生み出しているかもしれないこの感情に囚われて、周りを振り回して、最低な人間なんです。本当は死んだほうがいいのかもしれません。こんな感情、認められることも理解されることも、きっとありません。だって偽物のつらさだから。すべて私が悪くて、すべて私が間違っているから。そしてきっと、それだけが正しいから。赦されるはずないのに、赦されたいなんて思いたくありませんでした。誰かの役に立つだけで、にこにこ笑って生きていきたかったんです。ただそれだけなんです。ごめんなさい。赦されることはきっと無いですが、本当にごめんなさい。こんな娘で、こんな人間で、こんな友人で、こんな恋人でごめんなさい。きっと私はまだ変われません。ぐずぐずと同じところで足踏みをしてしまうと思います。だから、どうか自分の身を守ってください。危ないと思ったら離れてください。でも、愛しています、ずっと。だから、ごめんなさい。