寂寞たる心を抱きしめて

遺書を書いた。

なぜ突然書こうと思ったのかは定かではないけれど、希死念慮がとても強かった。

薬を飲んでもあまり追い払うことが出来ないほど強く、苦しかった。

呑まれるかもしれないという恐怖が、何時でも付き纏っている。

今日はそれが、一段と大きかったように思う、だからかもしれない。

 

遺書には、私を許さなくていいこと、生きていたかったのに負けてしまって

申し訳ないということ、もしまだ生きる気力があるのなら、

今以上の不幸が無いよう祈っている、というようなことを書いた。

正直、許す許さないの問題かどうかもわからないし、

謝罪することが合っているのかもわからないし、

最後に関してはお前に祈られてもって感じだと思うし、

どうしてそういう内容になったのか全くわからなかった。

 

それなのに、書き進めていくうちに涙が止まらなくなってしまった。

今もこの文章を打ちながら泣いている。理由はわからない。

負の感情であることは確かだけれど、悲しいのか、つらいのか、苦しいのか、

はたまたその全てなのか、全くわからない。

 

もしかしたら、わかろうとしていないのかもしれない。

わかりたくないのかもしれない。それもわからない。

わかるのは、今の私はこの生活を絶対に手放したくない、

けれど、同時にそれと同じくらい死んでしまいたいと思っている、ということだけだった。

 

今はまだ、生きていたいと思う気持ちがあるけれど、ノートの最後のページに

書いたそれを破ける日は来るのだろうか。希死念慮が鎮まることは有るだろうか。

こんなにもこんなにも呑まれそうなのを、これからもずっと理性で

抑え込んでいけるのだろうか。

 

わからない、私自身の人生なのに、わからないことばっかりだ。

 

けれど、こんな苦しい夜でも、生きていくには越えなければならない。

烏滸がましいけれど、私も、そしてみんなも、そんな夜をどうか、

どうか乗り越えられますように。